非行への階段。
最近、ウチは子どもたちのたまり場になっている。
下は3歳から上は小学校3年生まで。
その日の幼稚園や小学校が終わって、習い事のない子が入れ替わり立ち替わり集まってくる。
なかなか多種多様な顔ぶれで、中にはどこの誰だか分からない子までいる。
おやつを座って食べろー!!と言うと、キャーと言って走って逃げて行く。
喧しいから外で遊べー!!と言うと、公園ではなく、庭に飛び出しそこらじゅう泥だらけにする。
ごはんの時間だから帰れー!!と言うと、まだ遊びたいー!!とか言ってギャーギャーまたひと騒動起こる。
人ん家だと思って(?)やりたい放題である。
大体一日に2、3人が相場だが、一度雨の土曜日に10人集まったときは、騒然となった。
我が子が楽しいなら、家が汚れるくらい別にかまわないのだが、女の子なんかは座ってお菓子を食べながら私とおしゃべりしたがるから、大人しいけれど逆に手がかかってやっかいだったりする。
しかし、チビっ子のくせに、こうやって「女子」になって行くんだなぁと、その過程はなかなか興味深いものである。
私は子どもが嫌いなので、来られると正直鬱陶しい。
我が子だけでも鬱陶しいのに、一人増えるだけで倍以上鬱陶しくなる。
人の子に愛情を感じないから余計鬱陶しい。
自然、子どもへの態度も邪険になる。
けれど、ある程度大きくなると、もしかするとこのサバサバ感が居心地良いのか、意に反してなかなか懐かれる。
逆に、優しい言葉や態度が必要な1,2歳の子は決して私のところには寄ってこない。
義妹の子なんか、生まれてから毎週1回は会っているのに、私の顔を見ると未だに瞬時に笑みを凍りつかせる。
こっちも義妹は好きだし義理があるが、子どもは好きではないのでそのまま放っておく。
こんな具合だから、近所の小さい子なんかは到底懐かない。
こっちも懐かれてたまるかくらいに思っている。
こういうのがいつまで続くのか、とふと思った。
他の家ではなく、うちに集まってくるのには、何か理由があるはずだ。
私が基本的に全く放置で自由にできるからかもしれないし、おもちゃが異常なほどあるからかもしれない。
時々サービス精神を起こしてスライムを作ったり、ペットボトルで実験みたいなことをしてみたりしてやるから、図に乗っているのかもしれない。
まだ小さいからいいものの、こういうのが長じて(?)不良のたまり場になったりするんじゃないのか。
私が「コドモキライコドモキライ」と呪文のように唱えて放置している間にも、いつの間にか現・子どもたちは「子ども」とは呼べない年になり、子どもの遊びとは言えない遊びをし出すんじゃないか。
そしてそれでもなお私は「コドモキライコドモキライ」と言って、関わるのを避けているかもしれない。
不良のたまり場になっている家の親というのは、概して子どもを放置して、物だけはたくさん与えているという先入観がある。
おお、そのままウチに当てはまる。
ちっとは相手してやるべきかな…
悪の芽は早いうちに摘むに限る。